平常心
お久しぶりです 恵愛です
平常心とは…
普段と変わらない心
揺れ動く事のない心理状態とあります
辛い事があっても、悲しい事があっても
心のバランスを失わず
心の歪みを少なくする事が
平常心に繋がる事なのでしょうか
人を待つ、時を待つ、チャンスを待つ
この待つという心も
とても切ないものです
この時、如何に平常心でいれるか
如何に気持ちを落とさず
ゆったりとした気持ちで
待つ事ができるか
悲しい時も、現実と並行して
現実の自分を見失わず
地に足を付けて逃げずに
前に進めて行ける自分を
作る事が出来るのか
これらは全て
平常心が絡んで
くるのでしょうね
とても難しい事ですが…
この平常心が失われると
心のバランスがとれなくなり
自責の念が強くなります
自責の念とは
どうせ私は嫌われているから
どうせ私は何をやっても駄目だから
私が悪いからみんな不幸に
なってるんだ…
どうせ私は、どうせ私が…
と、常に自分を責める事を
言います
家族とは、カルマ、因縁によって
作られた集団です
他人とは違います
家族から酷い仕打ちを
受けた過去のある方は
家族と他人を線引きせず
そのままの自責の念で
社会に繋がりを持つので
本当の自分を出せず
自分が我慢したり、また
淋しさから常に人を追ってしまいます
同性に対しても、嫌われたら
どうしよう、また一人ぽっちに
なったらどうしよう
と、相手に酷い事を言われても
酷い事をされても、言い返せず
どんどん相手に馬鹿にされる
そんな自分がますます嫌になり
イライラして、家族に爆発してしまう
結果、ますます家族と
上手くいかなくなる
やはり心の何処かに家族は
自分の所有物と思っている
自分がいるのでしょう
でも、これは違います
家族は家族、他人は他人
社会の中で、友達の中で
どう考えても理不尽な
出来事、また
馬鹿にした言葉、見下げた言葉
に対しては、きちっと意見を
言える自分を作るべきです
そうすれば、相手も一線を
引き、舐められない自分が
生まれてくる
自信がつき、理性が生まれ
外での自分作りが
内なる自分作りに変化し
この自信が家族に対しても
平常心で対応出来る自分に
繋がる事でしょう
人それぞれの生き方があるので
一概には言えませんが
何処で、自分の居場所を作るか
何処で、自分に自信をつけるか
が間違いなく平常心に繋がる
事だと感じています
平常心とは…
普段と変わらない心
揺れ動く事のない心理状態とあります
辛い事があっても、悲しい事があっても
心のバランスを失わず
心の歪みを少なくする事が
平常心に繋がる事なのでしょうか
人を待つ、時を待つ、チャンスを待つ
この待つという心も
とても切ないものです
この時、如何に平常心でいれるか
如何に気持ちを落とさず
ゆったりとした気持ちで
待つ事ができるか
悲しい時も、現実と並行して
現実の自分を見失わず
地に足を付けて逃げずに
前に進めて行ける自分を
作る事が出来るのか
これらは全て
平常心が絡んで
くるのでしょうね
とても難しい事ですが…
この平常心が失われると
心のバランスがとれなくなり
自責の念が強くなります
自責の念とは
どうせ私は嫌われているから
どうせ私は何をやっても駄目だから
私が悪いからみんな不幸に
なってるんだ…
どうせ私は、どうせ私が…
と、常に自分を責める事を
言います
家族とは、カルマ、因縁によって
作られた集団です
他人とは違います
家族から酷い仕打ちを
受けた過去のある方は
家族と他人を線引きせず
そのままの自責の念で
社会に繋がりを持つので
本当の自分を出せず
自分が我慢したり、また
淋しさから常に人を追ってしまいます
同性に対しても、嫌われたら
どうしよう、また一人ぽっちに
なったらどうしよう
と、相手に酷い事を言われても
酷い事をされても、言い返せず
どんどん相手に馬鹿にされる
そんな自分がますます嫌になり
イライラして、家族に爆発してしまう
結果、ますます家族と
上手くいかなくなる
やはり心の何処かに家族は
自分の所有物と思っている
自分がいるのでしょう
でも、これは違います
家族は家族、他人は他人
社会の中で、友達の中で
どう考えても理不尽な
出来事、また
馬鹿にした言葉、見下げた言葉
に対しては、きちっと意見を
言える自分を作るべきです
そうすれば、相手も一線を
引き、舐められない自分が
生まれてくる
自信がつき、理性が生まれ
外での自分作りが
内なる自分作りに変化し
この自信が家族に対しても
平常心で対応出来る自分に
繋がる事でしょう
人それぞれの生き方があるので
一概には言えませんが
何処で、自分の居場所を作るか
何処で、自分に自信をつけるか
が間違いなく平常心に繋がる
事だと感じています
2016-11-09 17:02
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0